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あっちゃんのこと 2

更新日:3月23日

あっちゃんとはお芝居もよく観に行きました。それもH高校の演劇部がきっかけです。 もう絶対演劇部には入れないから、そこは二人ともすぐに諦めて裏方へ回ることにします。 高校のとき、卒業してから、私たちはあるアマチュアの小劇団の本番にはほぼ欠かさず顔を出していました。開場前に行ってチケットもぎりの手伝いをしてから客席で観劇、終演間際にそっと抜け出し、出口で待機、演者は客出しの挨拶で忙しいから、私たち二人がお客さまのアンケートを回収してまとめます。そのアンケートは絶対に見ずに団員へお渡しします。

いつしかそういう流れが当たり前になっていって、その全てが劇団の仲間に入れてもらえたような感覚でそれだけで私たちはとても満たされました。団員の方から「いつも手伝ってくれてありがとう」と声をかけてもらうことが本当に嬉しくて誇らしくて、終演まではとっても真面目にお手伝いした後の県民会館の薄暗い通路で、お互い顔を見合わせてふふふと笑ってスキップしたくなるくらい。 この劇団「夏の大三角形」はオリジナル(飯島研氏脚本)の他に第三舞台の鴻上さんの脚本も上演していました。その脚本家のこともあっちゃんが教えてくれました。すずなり、本多劇場、シアターモリエールのことも、あっちゃんから、そしてあっちゃんは当時、第三舞台所属の勝村さんのファンだったのですがそれは勝村さんがテレビに出るずっと前のことです。一方私は鴻上さんの脚本が好みでその世界に魅了されます。 「宇宙で眠るための方法について」、「デジャ・ヴゥ」興味深くて面白くて刺激的で、とても興奮しました。その世界が大好きで虜になりました。










そしてもう一つ、あっちゃんから教えてもらった世界はラジオです。通称Fリク、FMリクエストアワー、毎週土曜の午後3時から6時、二人ともよく聴いていました。

NHK甲府の今日の担当アナは、とかコーナーの話とか毎週のように話題にしていました。お互い好みのアナウンサーやアシスタントのことを応援して盛り上がって、私はその時からよくラジオを聴くようになりました。私は後に放送局でこの時のFリクのアナウンサー「山形由紀子」さんと一緒に小さな番組制作に携わることになります。当時は忙しい日々を送っていたので、ご一緒してもあの「山形さん」と目の前の「山形さん」がなかなか結び付かなくて、もしかして・・・と気づいた時にはじんわりと中学の自分を思い出して感慨深かったのでした。あっちゃんは中学、高校とすでに別のラジオで大人気の赤坂泰彦さんのファンでした。もちろん赤坂さんがテレビに出るずっと前のお話です。 あっちゃんが私の好みを知っていたのか、それともたまたま同じものが好きだったのかはわからないけれど、中学、高校といろいろな悩みや苦しみを抱えたときに、あっちゃんに影響されて夢中になった音楽やお芝居、ラジオの世界は間違いなく私を支えてくれました。




あっちゃんはその後、お芝居を見たり、楽器や音楽の世界に出会うことはありましたか。




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