光の記憶

今日は麗かな日和です。 小径にある野良の梅の蕾もほころび、庭の小さな水仙がようやく咲き始めました。 一昨年にあちらこちらへ植えて今年はどうかなと伺っていたところでしたからいくつか花芽を見つけてよかっ たと安心しています。













 春の訪れをたくさんお迎えできたら寒さも乗り切れるでしょうか。 春と聞いて多くの方がある季節、情景を思い浮かべます。

香や音、景色や動作、心身の変化などからも「春」と頷くコトがあります。 ただ春は現象、「モノやコト」を指すような名詞ではないのでもしかしたら

個々それぞれの「春」が違うかもしれません。 言葉は「言霊(ことだま)」だからと言葉の力を幾度となく示されると そうかなと、言葉の力を過信すると誤解や間違いが起こるのではという思いが生まれます。

確かに伝達手段として表現方法としてはとても頼りにしているけれど 言葉は「比喩」に過ぎないのだから。

どうしようもなく「言葉選び」が下手な方がいます。 言い間違いの多い方もいます。 言葉では表現できない、どの言葉も当てはまらない「言葉にできない」こと、もの、気持ちもあります。

言葉選びが下手な方や言い間違いの多い方と過ごすとき 肩の力が入ったり、そっと接するのを避けようとしたり、嫌な気持ちになることがあります。

そしてやはり予想は的中し、「なんとなく落ち込む」「それは気にしていることだけれどやっぱりダメなの か」という感情が起き「フーっ」とため息をついて空を仰いで気分転換、などなどいろいろ試みてやり過ごし たりして。

ごくたまにですが言葉は比喩、気持ちそのものではないのだからということを思い出すと怒りや悲しみが和らぐことがあります。

本当は違うことを言いたかったけれど言葉が見つからなかったのでは、

傷つけるつもりはなかったのに口から出た言葉はこれで、

口に出すほど気にならないのに出てしまった、

そんなこと思っていないのけれど、流れで口から出てしまった
















そう!こういうことは省みると自分もしていることです。

受ける印象もお人柄などが影響してくる気がいたします。 相手が触れて欲しくないと察した時点で口にすることを控えたり一方で

素敵なことには触れて楽しい会話や穏やかなひと時を経ていたら ひとこと、ふたことの失言はきっと許していただけると願って なかなかそうはできないけれどどうかお許しくださいと。

もし言葉選びが下手な方と日常を過ごさなければならないとしたら どうかご無理のないように、逃げ場や愉しみなどがありますように。

言葉は「ことのは」 響や文字など魅力は溢れるほどで面白いものです。 しかしながら気持ちや感情、現象そのものではなく

それを表現する術は、他にもたくさんありとても素晴らしく奥深いものと思っています。

たったお一人の方のために巻物を依頼された時 そのテキスタイルで言葉にはならない何かを作ります。

そう記しつつもここでその巻物について文字に言葉に起こしてみます。


0件のコメント

最新記事

すべて表示